息苦しくなったら、深呼吸しよう。

ブログは、自分の気持ちの所在を確認するためのものになっていたんだけど、近頃は読者登録してくれる人もいたり、最近出会った人などにポロっと教えちゃったりして、段々と「書きにくい。。。な?」って感じることが増えて来た。

 

だからハテナブログさんに、息抜きに来ることにした!笑

 

読んでくれる方々が感情移入とか、心配してくれたりとか、それはもちろん当然自然なことだと思うけど、今までやって来た某ブログでは書けない「私の心の動き」を忌憚なく書きたいし、「心の闇、ネガティブ、愚痴、不平不満」などもそのまま書いて、

 

どうしてそんな心境なのか?

 

どうやったら「私らしく」できるのか?

 

その辺りを静かに見つめてみたい。決してネガティブ感情を拡大したり、不満を撒き散らしたり、そういう事ではなくて、まずは自分の中にあるもの全てをそのまま認め、受け入れ、そこからしかちゃんとしたスタートが切れないと思うから。

 

今までのブログの私なりの反省点は、「いいね」が付く度にやっぱり嬉しくなったりして、毎回期待するようになってたことが1つ。そのうちに、いいねされないと落ちてる自分がいたり、いいね!されやすい記事を書いちゃおうとして、その時の自分の気持ちを容易く無視してしまうので、自分なりの心理ワークに取り組みたい私にとっては危ういトラップだった。

 

本当に落ちてる時に、いいね!やコメントに救われた事も多々あるんだけど。。。

 

「心配」されるのって、私はとっても苦手。心配するより、信頼して見守って欲しいタイプ。どんなに落ちても、どんな危機でも、自分の力で起き上がる力って誰にでもあると思う。ブログ上で心配してもらっても、返信するだけでしんどい時もある。

 

人間の心の動きって複雑で、良い事がありましたーシェア!だけじゃ収り切らない。嫉妬、ねたみ、競争心、利害関係、条件付きの愛、優越・劣等感、そんなどーしようもない、しょうもないものの上にやっとこ立って歩いてる時だってある。

 

それって、悪いことでも、ダサいことでも、弱いことでも何でもない。人間ってきっと、そういうものをみんな抱えて、何とかしてその自分を乗り越えて行くところに、人間としての尊さがある。

 

SNSで溢れる表面的な情報に、今はちょっと飽き飽きしてる。私は割と孤独な海外生活なので尚更、友人知人と面と向かう事も少なくて、もう昔の様にじっくりと向かい合って心の中を打ち明けられる人もあまりいなくて。

 

自分自身と、大親友になりたいと思った。自分の心と結婚したい笑。そうやって自分を認めて、ほめて励まして、しんどい毎日でも、いつでもどこでも味方になってあげたい。

 

私はトラウマを抱えやすい性格だと思う。大きな音や喧嘩、騒動、争い、意見の相違とか、そういうものがとっても苦手。それなのにお人好しなので、若い頃は人のいざこざに巻き込まれたり、妻子持ちの男性に言い寄られたり、付き合った人が心に深い傷を抱えていてどうしようもなかった経験とか、色々あった。

 

40代になった今は「お人好し」は大分改善されて、他人の強い思いに引っ張られない大小の技術を身に付けて来たんだと思う。それでもまだ、はなから人を疑う事は知らないし、心の奥で「どんな悪人も人の子」って思ってる所があり、油断してるとセクハラを仕掛けて来る人に会ったり。こういう所が、トラウマを作る原因になってることはここ数年で分かって来た。

 

「隙がある」人って、だらしない、みたいに思われがちで、私も他人のことはそう思って来たけど、恥ずかしながらかなりの偏見だったと思う。隙があるからって「ツケ込む」人の方が相当、卑怯者だから!笑。例えば子供が無邪気だからってツケ入るヤツは絶対に許されないと思う。大人だって同じ。人の尊厳を蹴散らかす無意識な人には本当に腹が立つ。

 

だって無邪気さ、天然さ、無垢なものって、愛の塊なのに。

 

自分のお人好しな部分、無邪気な部分を踏みにじられた時の、絶望的にショックな気持ち。人生に裏切られた!って言う、言葉にもならない衝撃。それが、「トラウマ」が生まれるメカニズム。

 

だからトラウマは、ただの「過去の傷」じゃない。ただ「そんなのもう、忘れなよ」で済む仕組みでもない。

 

トラウマの正体は、愛なんだ。

無条件の、この上なく純粋な生命エネルギー。

喜びに溢れた、命の源となるもの。

 

それが裏切られることで、その後の人生何十年も、ずっと失望しながら、ささやかな喜びを探しながらも心の隙間を埋められずに、毎日をやり過ごして生きて行く。。。そんな事にもなりかねない。実際私も、トラウマで20年程は苦しんだと思う。

 

人が成長し生きて行く中で、大なり小なりの試練は避けられない。試練があることで、その後の人生をより良く生きられる様にもなる。だから、トラウマを作るような出来事を回避しましょう!とは思わない。

 

大切なのは、長い人生の中で積み重なって行く経験、記憶、潜在意識と、どう向き合って生きて行けるかなんじゃないかと、中年期にさしかかった今、課題に感じてる。

 

10代、20代、30代、、、。色んな事があった。。。

 

そして40代。少しは強く賢く寛容になれたかと思うと、そうとばかりも言えない。こうするべき、という指標は積み上げて来ていても、未消化のネガティブ感情や経験が、無意識の時に限って特に、猛烈に足を引っ張り始めるという感覚に、私は気付き始めていて。

 

例えば私、最近結婚をした。

 

幸せの絶頂であっても良い状況なのに、どんなにポジティブに過ごそうとしても、一抹の不安?の様なものに、意識がハイジャックされている様な感覚。

 

不安と言うより、「呪縛」に近い。笑。自分で自分にかけている呪文の様なもの。若い頃の失敗の経験や苦い思い、絶望感、それらは、自動的には越えられないのではないかと思う。言葉にしてしまうと、

 

どうせ〜なんだ(絶望)

自分はきっと〜ないんだ(失望)

 

そんな感覚だけど、言葉になどとてもならない、胸を締め付けられる様な息苦しさと、目の前が見えなくなる様なガッカリ感、そして、その暗闇にうずくまって何もしたくなくなる様な無力感が、感覚として瞬時に押し寄せる。

 

幸せなはずなのに!現実には何の不安要素もなくても、だ。

 

もちろん頭では「ああこれは、あの時失敗した事がトラウマになってて、勝手に蘇っちゃってるだけ。幻想でしかない。」って分かってはいる。

 

だからそう気が付ける余裕のある時は、深呼吸して、心を静かに落ち着けてみて、何も心配はいらないんだと自分に言い聞かせている。

 

でも、そう言い聞かせるだけでは、恐怖の感覚のフラッシュバックはなくならない。フラッシュバックだと気付かずに、悲観的な考えのスパイラルに入って行ってしまうと、そこに元づいて言動してしまうので、本当は望んでいないのに、残念な結果に自ら持ち込んでしまうことさえある。

 

自分では気づいていなくても、

夫を責めるような言動を繰り返していたり。。。

 

あまり意識していなかったのだけど、たまに夫が「理由なく気落ちしてる」と感じられる事が最近あって、これはマズいかも?と危惧するようになった。普段はお気楽でポジティブで分かりやすい性格の彼だけど、私の否定感情のフラッシュバックに、間接的に影響されてるのかなぁ、と。

 

私も夫と積極的にコミュニケーションを取ったり、愛情表現をしたり、目標や計画を立てて実行したりする事があまり得意じゃない。出来ることならそうしたいけど、心情的に、いつもそう出来ずにいてしまう。彼に何かしてもらっても、「ありがとう」は必ず言うけど、喜びをストレートに表現出来ているか?は、まぁまぁって所。

 

今、ここ、私、の感情よりも、

過去、トラウマ、否定的な感情に、

 

捉われたり、攫われたりしながら、必死に抵抗してやり過ごしている。だからいつも私はいっぱいいっぱいだし、余裕がなくて、力が出ない気がしてる。

 

心の中の葛藤で、1日の半分くらいのエネルギーが消費されているかもしれない。どんなに頑張っても人並みに出来ない様な、静かな弱気に支配されているような。必要な事はこなすし、やるべき事はやるけど、「やりたい事」「楽しい事」まで手が回らない。

 

やりたい事、楽しい事をして

100%の力を出し切って

悔いのない人生を送りたい

 

心の中のそんな願いとは、ウラハラな現実がある。

 

こうやって心の内を打ち明けることも、ここ数年の今の生活ではほとんどなかった。だからまずは、心の中に積もって行くものを書き切ってしまいたい。そう切に願って、このブログを始めることにした。

 

誰の期待に応えるのでもなく、すべき事をこなすだけの日々ではなく、本心に反して頑張るだけの毎日でもない、もっともっと、本当の自分を生きたい!

 

過去の幻想に悩まされることなく、スッキリと中年の危機を乗り越えて、自己実現の段階に移行して行きたいと思う。トラウマ、フラッシュバック、潜在意識、たまにタロットや占いの研究を取り入れながら、本当にやりたい事を見つけて、生き生きと生きられるように。

 

深呼吸も、吸ってばかりでは続かない。深く深く、吐き切ってこそ命は巡るのだから。

 

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